アイザク・ニュートンは 1642年にイギリスで生まれ, 1661年にケンブリッジ大学のひとつのカレッジに入学しました。
当時のイギリスは1649年から続いていたクロンウエル親子の共和制が1660年のスチュアート朝の復活で終ったばかりで混乱し,教育レベルは低下していましたが,連続体や無限の研究でイギリスの数学はヨーロッパの先端を切っていました。
ニュートンは1665 年頃微分・積分の原理や万有引力の法則を考え出しましたが,発表されたのは約 20 年後の 1687 年であり,そのため後に,記号の使用法にも優れていたライプニッツと微積分の創始者としての地位を争うことになりました。
なお,当時の微積分の計算は論理的な厳密性に欠けていたにもかかわらず,多くの物理学の問題を解くことに成功したために信頼されていました。当時は数学と物理学とが密接な関係を保ちながら進歩していたことに注意したいと思います。
微積分の厳密な構成は 19 世紀のコーシーまで待たなければなりませんでした。
ニュートンはアルキメデス,ガウスとともに三大数学者と呼ばれています。
(2014年4月4日改訂)
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